白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

足るを知る精神は経済的閉塞対策的にも少子化対策的にも必要らしい

こんばんは白蝶です。
「結婚不要社会」という本を読んだのでそのまとめと感想です。内容はざっくりまとめなので詳しくは本を読んでね。


まず初めに言いたいこと書きますが、日本社会は経済的にも停滞してきているため脱成長が推奨され最近でも話題になっています。結婚自体が経済と深く関係しているため結婚にも脱成長的観点、足るを知る精神が必要です。囚人のジレンマのようなもので脱成長を皆がしている中で資本主義まっしぐらな思考でいる人が野放しになるとその人ばかり得をするため、脱成長は脆い立場なので直感的に理想論に聞こえます。ただし、貧する人にも恋愛弱者にも足るを知るという精神が普及したほうが得であるのだがなかなか難しいだろうなという感想です。

なぜ今どきの若者は結婚しないのか

結論から言うと日本の若者は結婚しないのではなく、できない。
近代になって存在論的不安を解消する恋愛的側面と共同生活をして楽になる側面で結婚が必要になった。言い換えると結婚にはこれら2つが求められる。
結婚相手に求められるのは「自分の存在を肯定してくれる互いの愛情が一生続く相手」であり、「結婚後の経済生活が自分の期待する以上のものとなる相手」です。
これら2つを同時に満たす相手を見つけるのは困難であり、妥協すれば見つかるという話です。

欧米では好きな相手と付き合い恋愛の延長で結婚する。愛情がなくなれば離婚する。経済的観点は2の次なのは性差なく働ける社会だからこそでしょう。
日本では恋愛の延長で結婚するとはいえ、女性の平均所得が男性より有意に劣るためか経済的観点は決して無視できない。

また、アメリカでは愛情を持っていたとしても結婚自体は必ずしも必要とは限らないため「結婚不要社会」となる。
日本では性関係が奔放ではなく、経済的にも性差があるため2つの要素は無視できずハードルのみが高くなるため「結婚困難社会」となる。


自分を肯定してくれる存在に関して、近代以前の戦前は「イエ社会」であり、男性は家業を継ぐことで自動的に社会的役割が与えられてアイデンティティというものが確立していた。
そのため存在論的不安を感じることは少なく、結婚相手にこれを求める必要もなかった。
女性は嫁ぐことで経済的に不安になることはなかった。女性のアイデンティティを考えていないのは今からすると闇ですが。
男性が求めていたのは子を産む相手、女性が求めていたのは経済的な柱。非常にわかりやすかったと言えます。

結婚するために変わるべきは社会か人の意識か

(これ以降は本文に書いていないこともあります)
社会的な価値観が現状のまま結婚率が上がるためには人の意識や行動を変える必要がある。
女性の観点で言えば問題は、昔の「結婚することで新しい人生がスタートしこれまでより良い生活ができる」という幻想を持っていることである。
男性の観点で言えば問題は、稼ぎが悪いことである。

人の意識をそのままに社会を変えるとすれば、
女性の観点で言えば問題は、世間体の影響が強すぎること(ステータスにならない結婚相手を選びにくいという意味で)である。
男性の観点で言えば問題は、……何でしょう、何かありますか?

日本では普通の人生を歩んで世間様に恥ずかしくないように生きなければいけないかのような共通認識があると思います。
そのレールから外れるくらいならいっそレールに乗らないという考えもあると思います。日本人特有の生真面目さみたいなものです。
たとえば子供の学歴、物欲を満足させる自信がないから子を産まない、子供を作らないなら結婚する必要もない、だから結婚しない。そんな考え。
これは、子供に恨まれたくないから? そんな子を育てて恥ずかしい思いをするから? 上手く育たなかった子供を不良債権だと思っているから? そんな考えも根底にありませんか?
戦時中も戦後も子供は産まれていたらしいですよ。

いつまでもリターンを得られるわけではありませんよ。日本は不景気です。時流に意識が追いついていないことも問題です。

最後に

具体例を明言したりはしませんが足るを知る、脱成長がキーであり、残念ながら今の若者は世の中の整地を求められているくじ運の悪い世代です。
諸外国から輸入している多様性の広がり、個人主義・自己責任論は自分の首を絞めやすいので気をつけたいところです。

それではこのへんで、おやすみなさい。