白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

変な人はゼロサム環境において有用

こんばんは白蝶です。
自分が人と違うと思うところがあり関連したこと書きます。


流行りに乗る人と乗らない人がいます。
人の評価が高いものを好む人がいます。
人と同じものを選ぶ人がいます。


市場原理として需要が高いものは供給量も多くなり単価が適度に下がるため、他人と同じ求める行動はそれなりにコストパフォマンスが良いです。
流行りに乗っておくと話題としても使える、コスパが良いという点でそれなりに賢い生き方だと思います。


しかし供給量が制限される場合、特に需要量を上回るほど供給量が少ない場合、人と同じ物を選ぶのはコストが高くなります。効用がどれだけ高くなるかはその人次第のためコスパが悪くなるとは一概に言えませんが。例えば、人気グループのライブチケット(箱に制限あり)、高級レストランの予約(箱、時間の制限あり)、長期連休の宿泊・航空機の予約(空席・時間の制限あり)、数量限定の商品などなど。これらは取得、所有していると他人からの称賛・羨望を得られるものでもありますが、金銭的・労力的な対価も大きいはずです。


逆に供給過剰なもの、市場に価値を付けられなかった無償のものを選ぶと当然ながらコストは低くなります。無料で配っているカタログを集める趣味なんていかがでしょうか。
それに意味や価値を見いだせるのであればかなりコスパは高くなります。
コストがかからないものを追求する場合、価値を見出すのに労力がかかることや、意味を見出すのに自分の意識を変えなければならないことがあります。大変ストレスがかかることだと思います。
(労力で価値の差分を埋めるというのは節約の基本的な考えです。)
ただし、多くの人はそれの価値を認めないので話題にもしづらく共感も得られない、つまり評価されないことが多いはずです。
人に共感されたい、認められたいと思うのはごく自然なことです。


人とものの見方や行動がズレている所謂変人は、流行りに乗れないがためにコストがかかったり、他人の評価を重要視していないがためにコストがかからなかったりします。
個人として変人はどうするのが賢いかと言うと、合理性の観点で流行りを受け入れることかと思います。
まあこの考えもコストを下げて得するべきという前提認識があってのことですがね。お金をかけることそれ自体に喜びを見出す人はこの考えは気にしなくても良いのかもしれません。



社会的集団は大なり小なり、多なり少なり変な人が交じることがあります。
人気のある役割、仕事は限りがあり誰しもそれからあぶれることは必然です。楽だから、やりがいがあるからという理由で人気があるとして、(仕事が少なくて)楽だから、(売上に貢献できて)やりがいがあるからという理由の根拠となる部分はそれぞれの価値観次第で、もしかするとハードワークを望んでいる人もいるかも知れません。
人が嫌う役割をむしろ好きで買って出られるというのは集団としてはありがたいものでしょう。


私もこういった性質があるのですが、なまじ共感を得にくいというのは集団においてマイナスに働くことが多いです。人に共感して心理的安定を得たいと思うのは多くの人が思うことでしょうから。


それでは今日はこのへんで、おやすみなさい。