白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

アイデンティティの主張に嫌悪感を抱くことがありますか?

こんばんは白蝶です。
また懲りずにプリンセス・プリンシパルCH2見に行ったのですが、色紙はベアトリス、ちせ、ちせと見事に被りだけでした。ベアト2つ目、ちせ殿3つ目なんですが、誰かドロシーと交換して…。


それはさておき、以前の記事の最後の方で書いた「アイデンティティの主張に嫌悪感を抱く理由は何だろうか」みたいなこと書いていましたがそれの深堀りというか今回はそんな感じです。
shirocho.hatenablog.com


私の想定するアイデンティティの主張とは「私〇〇だからさあ」みたいな、自分のプロパティを自己開示してしまうあれです。
「私サバサバしてるからさあ」「私結構オタクだからさあ」「俺今日1時間しか寝てなくてさあ」と聞いたときその程度で?とか感じるわけです。自分のほうができるわ!と反論したいのでしょうか。


アイデンティティとは

そもそも論をしましょう。アイデンティティについて下記URLで書いてくださっている方がいらっしゃいます。
www.cscd.osaka-u.ac.jp

アイデンティティのミニマル(最小限)の定義は、「その人が、自分が何者であるかを考えるときに、参照にする他者(単一とは限らない)とのモデルが合致したとき、その人のアイデンティティとは、その人の外部にある他者との共通点で示される属性を軸に自分を語る《同一のもの》」ということができる。したがって、アイデンティティを意識するときには、他者に語られるあるいは、自分が他者にむかって、自ら語る「私とは〜である」という、言説の実践行為が伴っている。


「私って〇〇なんだよね」という時の〇〇には属性を示す他者・集団が入り、自分はそれと同一であることを通して自分のことを考えている。これに当てはまるものがアイデンティティでしょうか。
上の例で言うと「サバサバ」「オタク」はアイデンティティの主張、「1時間しか~」はただの自慢ということですね。
前者が望むのは〇〇からの承認を得ること、後者はが望むのは対話者からの「凄いね~」という称賛を得ること。


恐らく〇〇が他者・集団であっても文脈によっては自慢の可能性がある。
話者がもつ〇〇は凄い・優秀というイメージが先行している場合、〇〇という言葉を借りてやはり自慢したいだけだろう。


アイデンティティという単語でググると下記の紀要がでます。
この方の他の文章も読んでみるとアイデンティティを語る際必ずと言っていいほどアイデンティティ危機の文脈で語っている。
そもそもアイデンティティを認識するのは「自分が誰かわからない」状態であるから確かにそうなのだが。
www.jstage.jst.go.jp


認識の差

自分は〇〇に対しての思い入れが高く傾倒している一方で、相手の熱量が小さい時に嫌悪感を抱いています。「自分が熱を入れている〇〇はこの程度の関心でも名乗って良いのか、いやいいわけがない」という反感を伴う嫌悪感。自分が好きなものを貶されるときに抱く嫌悪感と本質的に同じだと思います。


アイデンティティはある種の居場所、日本人、女性、30代など自分が所属する集団のうち、自分が承認されたいと感じているもののこと。
その数の大小、傾倒度の高低は人によって異なります。
これは交友関係の満足度における友人の数の多少、親密度の高低の関係に似ていると思います。


つまりアイデンティティの主張に嫌悪感を抱いた場合相手との価値観が違う可能性があり、これを見極めることは相手や自分を理解するという意味では無駄ではありませんが、嫌悪感そのものは抱く意味のないものですからそのネガティブイメージは俯瞰して見るだけにしましょうという話です。
ただし私は深く狭くの交友関係を自認しているので否定されて反感を持たないプロパティなどアイデンティティではないと感じます。*1



単純に〇〇と説明したほうが話が早いという場合もあるので全てがアイデンティティ関係あるというわけではありませんが。

今回はこのへんで、おやすみなさい。

*1:親密度は極限を考えると私の場合∞です……。