白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

使命感を持つときは使命感を持たされている。誰に? 神に。

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こんばんは、白蝶です。
まあいわゆる自由意志なんて無いという話です。
ダラダラ書くと言いたいことがブレるので、書こうと思っていることを先に箇条書きで示します。

概要

  • 自分の意志はありもしない幻想ということ
  • 人の行動は環境依存ということ
  • 何かをせざるを得ない環境にあるから使命感を持つということ
  • 成功者は変化できる環境にいたということ

自分の意志はありもしない幻想ということ

アメリカの生理学者であるBenjamin Libetさんの研究で有名ですが、

  • 行動する0.2秒前には意識的決定の電位が脳に生じる
  • 意識的決定の更に約0.2秒前に運動準備電位が無意識下で発生している

つまり、自分で行動の意識をしたと思っても、実際にはその約0.2秒前には脳が動き始めているので「自分の意志で」行動するというのは幻想ということです。

この研究の数年後にBenjamin Libetさんが深堀りして、運動準備電位発生と意識的決定の間に行動を変更できるかを実験して確認しています。結果として意識的決定の前(すなわち行動の0.2秒前)までは変更が可能のようです。無意識に対する否定権は持っているということがわかります。またこの研究において行動の起爆剤となるのが無意識であるという前提は否定されていません。


わかりやすく書いている方々がいるため詳しく知りたい人は下記を読めば良いんじゃないかな。
note.com
wired.jp


ただし、あくまで実験環境においてであって、リアルでもそのまま適用できるかどうかは疑問です。

人の行動は環境依存ということ

人が行動をするとき恐らく多くのことを無意識が判断しているのだと思います。
経験として、過去の失敗・成功、その手順・方法。価値観として、誰・何を大切な主軸とするか、効率か調和か、過程か結果か。多くの人はこれら全てを意識的に出来るほど器用ではないと思います。総合的に判断したことを「なんとなく」と表現します。


理由を挙げることはできても後付けとなります。数多考えられる原因のうちいくつかを拾い上げると「理由」になります。その「理由」を選択したのも「なんとなく」です。


経験も価値観も全てその人が置かれた環境によって定まります*1。どこに生まれたか誰に育てられたか、誰と関わって育ったか、何を食べて生きたか、何を見て聴いて触ってどんな言葉を摂取して生きたか。それら全てが微妙に違い最終生成物は全て異なるものが出来上がります。


最近親ガチャなんて言葉が話題になりましたが、悲観的でもなく責任転嫁でもなく事実として誰から生まれるか、誰として生まれるかでその後の行動・人格が決定します。ただし、決定といっても未来予測できるという意味ではありません。

何かをせざるを得ない環境にあるから使命感を持つということ

多くの人はせざるを得ない環境にあるから行動に移します。例えば仕事で責任感を持って仕事をしなさいなどと指示することは無意味で、責任感を持たざるを得ない状況にするから責任感を持つのです。

内田樹さんが『困難な成熟』という本で述べていましたが子供は成熟せざるを得ない状況にあるから成熟するのです。立派な大人が2人、夫婦で喧嘩をして子供が仲裁役を担おうとすることで成熟します。小学生でも人によって精神の成長度合いが異なっていると思いますが、早熟な子はそういう環境にあったということでしょう。

では責任感を持つ状況とは何か。自分が行動しなければならない、代理はいないという状況です。
実際には自分なんていなくてもなんとか世の中回るというのが往々にしてあるのですが、自分がやらなければいけないと勘違いできると責任感を持てます。この時点で学習性無気力に陥っているとどうにもならないのですが、いくばくかの能力があれば十分です。

何かを強く志して使命感や情熱をもって成功している人はそういう環境に置かれていたのでしょう。

成功者は変化できる環境にいたということ

自分が行動せざるを得なかった環境に置かれていた人ほど行動をしているはずです。決して成功・失敗どちらに近づくかはわかりませんが、サイコロを振り自分の人生に影響を与えていたという意味で変化をしていたはずです。最近はSNSの影響もあり成功者の声が大きく、また原理的に失敗者は恐らく亡くなってしまっていたり発言力がなかったりするので無視されがちですが、いずれにしろ行動した結果として成功者が目立つようになっています。

行動の結果としての変化量は人・行動によって違うはずなので一概には言えませんが、勝者も敗者も数直線上で言えば同じ方向のサイコロの目を引き続けた結果*2であり、ガウス分布の両極端です。

行動の指針が正しければ試行回数を重ねたほうが成功に近づくはずです。だから成功者の多くは行動する機会を多く与えられた人の中から現れます。

ここはビジネスマン向けのブログではないので悲観的なことも書きますが*3、成功者だとしても「行動するのは行動せざるを得なかったときだけ」という原則は同じです。すなわち成功者は行動しなければ生きられなかった人達の一部だということです。

行動しなくても生きられた人達、もしくは成功者になるほど行動しなくても生きられる人達は変化せずとも適応できる環境に置かれた恵まれた人達という捉え方もできます。

最後に

どうすれば使命感や責任感を持てるのかというと、環境を変えることが一番である。
とはいえ上記の論理だと環境を変えようと思えるかどうかもまた、環境を変えざるを得ない環境に居たかどうかに依存する。意識して行動したつもりでもそれは無意識な行動なんですよという少々無力感を覚える考えかもしれない。


そう思う人は人間を過大評価している。働きアリの2-6-2の法則*4があるが、変わろうとしない人はそういう役回りなだけである。使命感を持たせたい対象が自分であるか、他者であるかに関わらず、また他者と比較して使命感を持っていないことに危機感や焦燥感を抱く人はこういう考えが足りない。そんなストレッサーを保持しても自慢にもならない。


なんてことをつらつらと書いたが、テレビで町おこしを支えるドキュメンタリーを見る機会があり「自分がこの仕事をしなければ」と思う人は何を考えているのかと思って上記を考えたわけだ。(嘘つきだと言うつもりではなく)吐く大義名分は無意識の行動を整合させる意識の突貫工事で生まれたモデルハウスであり言葉に大した意味はない、この人には余裕があるが私には関係ない、私には別の役割があるだろうと嘯いて今日も自堕落な生活をしようと考えた日の事後報告である。


結局長くなってしまったが今日はこのへんで、おやすみなさい。

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*1:これは同じ条件を揃えれば同じ人間ができあがるという話には発展しません。DNAも占める空間も時間も同じ条件に揃えることは不可能ですから。

*2:一発逆転逃げ切りの人がいないとは言えない。

*3:そもそも気分が良くなることを書いていない。

*4:集団の中で飛び抜けてよく働くのが2割、普通のやつが6割、休んでいるやつが2割いるという観測結果。パレートの法則の亜種。