白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

歩きスマホをしてしまう心理を知りたい

こんばんは、白蝶です。
久しぶりの投稿です。引越してまだネット環境が整っていないのでスマホでポチポチ文字打ってます。


早速ですが歩きスマホをするやつはバカか傲慢かどちらかだろうと思っています。
スマホ見ながらも周りは見ているなどと考えているだろうが、視野が狭くなり注意が散漫になるはずで、実際に事故にならないのは周囲の人が避けているからということに気付いていない。
気付いていながらも歩きスマホしているなら、他人にそれだけの労力を割かせるだけの価値のある、意味のある人生を生きていると勘違いしている傲慢で不遜な人です。勘違いしていないならやはりバカです。

こういう人は潜在的な当たり屋、通り魔だと私は思っています。


さて、関連するか微妙ですが当たり屋といえば、コミュニケーションにおいて相手に関して確証はないが決めつけて「君って〇〇だよね」と言い、それに対して「いや違う、△△だ」と訂正させて話を引き出すオープンクエスチョンの亜種を吹っ掛けてくるやつがいますがこの手合いが非常に苦手です。私はこの手のやつは当たり屋とか通り魔の類だと思っています。
というのも、不要なら一言たりとも喋りたくないのが私の基本的な考えです。にもかかわらずこの手合の話し方だと否定しなければ相手の言い分が真実のように扱われてしまう、喋ることを強要されているわけです。大抵この場合は勘違いされたままだと面倒なことになりがちです。
大抵の人は話して誤解をとけばいいだろうという思考回路だと思うと、この意味でやはり自分はコミュ障なんだろうなと感じる。コミュニケーション取りたいと強く感じないのが問題だとは思っている。
気のおけない相手が居ないせいかわかりませんが、他人と1時間も喋ると連続的、断続的問わず大抵お喋りキャパオーバーします。サラリーもらってるマンなので毎日キャパオーバーで死にたくなります。


歩きスマファーもコミュニケーション通り魔も受け側が損を被る。世の中往々にしてこういう事例が多く、受け手側は声を挙げる性質を持ってないからして受け手側なのであり、この構図は搾取である。高い内向性は社会的な損をもたらすことが多い。

私の場合は内向性に加えて、そういう人が増えてほしくないから行動で示しているつもりだが、これは結局偽善でしかないのかもしれない。実のところ「自分は正しい行動をしており悪くないが世の中変わらない、やれやれ皆馬鹿だな」と思っていたいのかもしれない。

他者のためを考えるならば、考えを布教し、同じ考えを持つ人を増やす努力を積極的にすべきなんだよな。


今回はこのへんで、おやすみなさい。

P.S. 歩きスマファーの心理は知らなくてもいいや。

白蝶