白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

MBTIにおけるINTP型について(2) ~コミュニケーションのこと~

こんばんは、白蝶です。
以前の投稿に引き続きINTP型という観点で自己紹介をします。

 

厳密な理解の追求

私のようなINTP型はコミュニケーションにおいて、上辺の共感などを求めず、知識の共有、厳密な意見の理解を求めています。これに関して詳細に話すのは少し気が引けますね。自分の悪い性格を吐露しなければいけないので。

 

大学生以降は相手に教える際、相手が理解していないにもかかわらず理解したような相槌を打った場合、雰囲気でわかるようになったので自分は困らないのですが、教わる側としてはそれで良いのでしょうか?恐らく2度説明させることに罪悪感があるため、話を切り上げようとするのでしょうね。「わかってないみたいだね」て言うと「はい」と返される。私の説明が冗長でわかりづらい可能性は否定しませんが、いくら何でも非INTP型のコミュニケーションは浅い理解で留まっているように感じます。

 

とはいえ私は人間が完全に相互理解できるとは思っていません。互いの間に漸近線があるはずですが、どれだけ近づいたかというのは重要ではなく、近づこうとするその過程・意思こそが重要だと思います。1度聞いてわからなければ再度聞く、具体的にわからない箇所があるなら聞く、何がわからないかがわからないならそう言う、これらはすべきことであり、INTP型は聞かれても気を悪くしないでしょう。コミュニケーションにおいて人格を否定しないように気をつけるべきだとは思いますが、前述の質問はそれにあたらない。説明が難解、聞き手の理解力の問題、これらはあって当然です。共感を求める会話とは違い、未知の事象を理解しようというプロセスにおいて1往復のやり取りで済むと想定することが間違っているのです。

少しまとまりが悪くなってしまいましたが、私の場合、好感が持てるのは理解しようという意思が見える態度・会話です。

 

勝手な話ですが、INTPは「広く共有されていない理論を話すことがある」(≒自分で考えたばかりの理論、もしくは自分の中では定着しているが論拠が自分特有である)ため、理論的な人だという印象を受けても鵜呑みにしてはいけません。視点が斬新で興味を惹かれるかもしれませんが、話しながら論理の穴や非整合性を探っているかもしれません。

また、厳密なコミュニケーションを求める性質のため、会話において自分の知識をより多く出そうとします。これは知識をひけらかすためでなく、1つは自分の言葉が新たな考えが生まれる引き金になることを望んでいるため、もう1つは自分の知識の確認のためです。ここで否定されて正確な情報で更新されるならばそれでも良いと考えています。

上記の理論、知識いづれを話す場合においても、反論されること自体は嫌いではないのです。むしろ自分の考えをより高みに昇華できるのならばと反論待機することさえあります。私はプログラムを組むことがあるのでツールを作ったりもしますが、自分の文章、創作物においても同様のことが言えます。ただし、重要なのは反論するなら最低でも根拠を説明できるようにして反論して欲しいということ。INTPに対する否定・反論は根拠をもって正当化されます。その根拠が妥当かを判断しさらに反論することはありますが...。無根拠の反論をする人とは話したくないとさえ考えています。

 

さて、ここまで理解について話しておいて何ですが、養老孟司さん&名越康文さんの対談本「他人の壁」(出版:SBクリエイティブ株式会社)を読んでいたら、「誤解」は解かなくていいという主張をされていました。読んで理解しましたが、老成するとそうなるだけでは?という感想です。やはり無駄だとしても若いうちは上記のように理解を追求したいものです。この本はいつか感想を投稿するかもです。

 

今回はこのくらいにします。おやすみなさい。

 

【参考URL】
[1] 最強合理マン、INTP型はなぜ人をウンザリさせてしまうのか。『他人との会話を思考の”反響版”にしがち』 _ 凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ