白蝶の雑記帳

儲からない時間、無駄な時間、考える時間。

【推し、燃ゆ】を読んだ件

こんばんは白蝶です。
かなり人気の「推し、燃ゆ」を読んでの感想となります。なお8月に1度目読んで、昨日2度目読んで感想を書こうと思いました。
読書メーターで登録していると毎日のように共読の嵐。有名になる作品はこんなに読まれるものなのかと驚嘆。


以下、主人公であるあかりの問題、病気などの内容詳しく書いていますので注意。


総評

おそらく主人公のあかりは発達障害で、発達障害者の日常生活がままならない様や心理描写、推しに対する心理描写は細かく、それでいて難しい言葉は使っていないためわかりやすく読みやすいです。ただし、表現自体は暗喩をさらっと書いたりしているため、たまによく咀嚼しないとなんのことを言っているのか疑問に思ったまま通過してしまうかもしれません。(読書家の方々はそうでもないと思いますが)

2周目読むとあかりの心理描写を何度も読むことになるため、私の好みではない性格であり少し鼻につくことに気づいたので3度目は読まないかもしれません。リアリティのある描写の裏返しです。

概要

女子高生のあかりはアイドルグループ「まざま座」の1人上野真幸の熱狂的なファンであり、上野のメディアでの発言などをブログにて文字起こししたり、ライブ、新曲などの感想をアップしている。ある日突然、上野がファンを殴ったことでSNSが炎上した。それにも関わらずあかりは姿勢を変えることなく上野を応援し続ける。あかりは日常生活を苦手としており、物を借りれば返し忘れ、宿題の存在も忘れ、アルバイトでは少しタスクが増えるとすぐに頭がいっぱいになる。他の人が苦にしない何気ない生活というものをこなしきれずにしわ寄せで苦しんでいる。その苦しみと向き合わないように逃げるように一層アイドルにのめり込んだが、とうとう解散するアイドルグループの最後のツアーを終えて悲しみも極まった。これまで棚上げしていた問題を思い返す。なぜ推しがファンを殴ったのか、なぜ自分は普通に生活できないのか。最後には鬱陶しく感じていた日常生活の結果も自分の一部だと感じ、前を向く。

考察・感想

たぶん上記の概要のような話だったと思うのだが私は高校生の頃現代文読解が苦手なため間違っている可能性は大いにあります。

1. あかりの認識まとめ

あかりは推しを推すことは自分の背骨であると言っています。この表現は、推しを推すこと=背骨、それ以外のこと=肉、という表現で作中全体で何度も出現します。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心ていうか、背骨かな。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.329). 河出書房新社. Kindle 版.

勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画を観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになっていく。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.331). 河出書房新社. Kindle 版.

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意思と肉体が途切れる。


宇佐見りん.推し、燃ゆ(Kindleの位置No.63-66).河出書房新社.Kindle版.

勉強や日常生活を辛く感じて通った保健室の先生に病院での受診を勧められ2つ診断名がついたそうだが本文中では具体名は出てこない。
生きづらそうな事例は下記の通り。ADDの特徴だと思います。

  • 病院の予約を無断で何度もキャンセルし通院しなくなる。
  • メモしても提出日にレポートを持ってくるのを忘れる、メモを見るのを忘れる。
  • 友達に教科書を返すのを忘れたことを帰宅前に気づく。(友達も5限目に使う予定だった)
  • 定食屋のバイトで指示されたことを捌ききれない、マルチタスクが苦手。
  • 小学生の頃の漢字のテストの成績がクラスで1,2を争うほど悪い。

最後のは学習障害の特徴かもしれません。


大学受験勉強中のあかりの姉が

「あんたを見てると馬鹿らしくなる。否定された気になる。あたしは、寝る間も惜しんで勉強してる。ママだって、眠れないのに、毎日吐き気する頭痛いって言いながら仕事行ってる。それが推しばっかり追いかけてるのと、同じなの。どうしてそんなんで、頑張ってるとか言うの」
(中略)
「やらなくていい、頑張らなくてもいいから、頑張ってるなんて言わないで。否定しないで」


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.505). 河出書房新社. Kindle 版.

という発言を泣きながらしており、程度の低いあかりの頑張りと自分や母親の頑張りを同じ様に考えるあかりの能天気さに酷く苛立っている様子が伺える。
自然と泣き出してしまう時点であかりの側にいることのストレスが相当大きく限界に近いだろうとも考えられる。その結果高校を中退したあとは数カ月間一人暮らしをすることになる。


あかりは背骨以外の日常生活の営みを継続できず、逃避行動である推し活にのめり込む。健常者ならば日常生活を面倒だと思ってもそれを当然のこととしてこなせるが、あかりはできない。さらに無意識に活動する肉体自体を嫌悪しているかのような描写もある。

留年するなら退学するとか、退学したらどうするのとか、家族で何度もした会話と似たようなことをひと通りしゃべったあとで、担任は「勉強がつらい?」と訊いた。
「まあ、できないし」
「どうしてできないと思う」
喉が押しつぶされるような気がした。どうしてできないなんて、あたしのほうが聞きたい。涙がせりあがる。あふれる前に、ニキビ面の上にさらに泣き出したらさぞかし醜いだろうと思い、とどまった。姉だったらこういうとき臆面もなく涙を流せるのかもしれないが、あたしはそれは甘えかかるようで卑しいと思う。肉体に負けている感じがする。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.659). 河出書房新社. Kindle 版.

泣いた自分がくやしかった。肉体にひきずられ、肉体に泣かされるのがくやしかった。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.816). 河出書房新社. Kindle 版.


あかり自身も推し活は生き辛さからの逃避という認識があるようです。

肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。


宇佐見りん.推し、燃ゆ(Kindleの位置No.68-69).河出書房新社.Kindle版.

推しに対する解釈・向き合い方は下記の通り。勝さんと幸代さんはバイト先の人です。
引用の2つ目は「ぜんぶ」とか「ささげるわ」とかやたらとひらがな表記が多いが幼い考え、思考停止した考えを表現しているのでしょうか。

あたしのスタンスは作品も人もまるごと解釈し続けることだった。推しの見る世界を見たかった。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.150). 河出書房新社. Kindle 版.

推しのぜんぶが愛おしかった。あたしは推しにだったらぜんぶをささげたくなってしまう。ぜんぶささげるわ、なんてちゃちな恋愛ドラマみたいなせりふだけど、あたしはそこに推しがいて推しを目の当たりにできればそれでよく、たとえば勝さんや幸代さんなんかが言う「現実の男をみなきゃ」というのはまるでぴんとこなかった。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.545). 河出書房新社. Kindle 版.

脈ないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒見てるのとか。見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思っていないからなんだろう。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.550). 河出書房新社. Kindle 版.


推す姿勢は一貫して一方的。見るだけ、ライブに参加するだけ、推しの発言・思考をトレースして推しをまるごと解釈するだけ。その結果推しとの距離を近づけたいわけではない。この点が地下アイドルにハマった友達との相違点だ。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりのぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.556). 河出書房新社. Kindle 版.

あたしは徐々に、自分の肉体をわざと追い詰め削ぎ取ることに躍起になっている自分、きつさを追い求めている自分を感じ始めた。体力やお金や時間、自分の持つものを切り捨てて何かに打ち込む。そのことが、自分自身を浄化するような気がすることがある。つらさと引き換えに何かに注ぎ込み続けるうち、そこに自分の存在価値があるという気がしてくる。


宇佐見りん. 推し、燃ゆ (Kindle の位置No.628). 河出書房新社. Kindle 版.

2. あかりの病気について

たぶん発達障害でしょう。

ではそもそも発達障害とは何か?
www.mhlw.go.jp

発達障害には、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音などが含まれます。
これらは、生まれつき脳の働き方に違いがあるという点が共通しています。同じ障害名でも特性の現れ方が違ったり、いくつかの発達障害を併せ持ったりすることもあります。

症状は人それぞれなので一概にこれとは言えませんが、本人が生きづらいと思うほどの症状であればおそらく発達障害です。幼少期~小学生の頃は多動性障害(落ち着きがない)、学習障害(会話などは普通だが特定の学習に困難がみられる)が傍目にもわかりやすいでしょうし、それ以降大人になっても自閉症スペクトラム(人間関係が下手、こだわりが強い)や注意欠陥障害(ADD:物忘れが多い)が問題になりやすいです。チック症や吃音はずっと苦労する症状だと思います。


自閉症スペクトラム症、ADHD(注意欠陥-多動性障害)、学習障害は知能テストで判別されることもあります。知能テストにはいくつか種類があり、WISC-Ⅲのテスト(ウェクスラー式の改定版)では全IQ、言語性IQ、動作性IQの3つを示す。全IQは特定個人の集団内の相対的地位・序列を表す。言語性IQと動作性IQは、言語性検査、動作性検査、下位指数(言語理解、知覚統合、注意記憶、処理速度)の組み合わせから知的機能のバランスを考慮されて算出される。言語性IQと動作性IQの間に有意差が存在し言語性IQ<動作性IQならば言語理解・言語表出に問題があるとされ、動作性IQ<言語性IQならば視知覚・視覚-運動協応・空間認知に問題があるという示唆が得られます。
あくまで知能テストでIQに偏りがある人は発達障害の確率が高いというだけで、絶対ではないという点は重要です。特徴・傾向がわかるという話。

思い返すと小学生の時にやった結果の知らされない知能テストで下位指数の処理速度や注意記憶などを試されたような気がします。

3. 何が問題か

私も過去に発達障害と思われる人と関わったことがありますが、問題と意識され他人のストレスになる場合とならない場合があります。

本人に秀でた能力があってダメなところがあってもしょうがないと思われるほど能力に偏りがある場合は問題になりません。もしくはダメなところはあるが改善しようと努力している姿を周りが見ていれば、ミスがあってもフォローしてあげようという気になります。


問題なのは発達障害者は他人軸で考えられない人が多いため、自分から先に集団に貢献して未来のミス負担を軽減しよう、あるいは軽減できるということを考えられないという点です。単にそういった発想ができないか、もしくは過去に実行しようとしたことがあるが持ち前の低能さで却って損してしまって自発的な行動は控えたほうが良いと学習してしまったかのどちらかでしょう。


また努力する姿勢を取り繕うことも苦手としているような気がします。本人はそんなことをしても自分の能力、出力結果は変わらないからやる意味はないと考えそうです。しかし、努力する姿勢が見られる人に無神経に怒る人は少ないし、集団内の発達障害者に対する敵意はそれ自体がストレッサーになり得るため解消されるならば想像以上に集団行動が最適化されます。これも本人は俯瞰的な視点がないため考慮できないことです。


最後に

私も艦これの提督だったときは生活リズムが崩れてました。提督には2種類いるんですよね、生活の一部に提督業を取り込んでリズムが良くなる人と、提督業のために生活してリズムが悪くなる人と。私は後者でしたのであかりの推し活にのめり込む気持ちというのは理解できます*1。流石にこのままではいけないと思いブラウザをそっ閉じして私の提督人生は幕を閉じました*2


推しとの距離・関係を変える気がないというスタンスは真面目な、行き過ぎない控えめな印象を受けますが、自身の経験からこれは自己肯定感の低さからくるものです。
特にあかりの場合は明らかにままならないことが多く、特に家族との関係性すら自分の意志と関係なく悪くなってしまっています。推しに対しても同じことがあって欲しくないという自己防衛のためにこのスタンスになっていると思われます。
自身の立ち位置に関しては控えめな裏腹に、お金・時間・脳内リソースの多くを推しに費やす破滅的な関係となっているのが不幸だとおもいます。
一方的に相手に費やして、相手との関係性というリターンは求めない*3という、共依存ではないこの心理的依存の構造、自己肯定感が低い破滅願望がある人間は残念ながら共感できるのではないかと思います。


この手の破滅願望を持った人は私を含めて適切な関係性を築ける人がいれば幸せになれるのだろうが、いかんせん難しいものである。
推しのためにリソースを集めること自体が全ての原動力となり、リソースを費やすこと自体が自分の内心で推し活を正当化するというループから抜け出せるかどうかは、このタイプのオタクが推し活との適切な距離感を維持するための最大の課題となっているでしょう。


今回相当引用文が多いため著作権的に心配。自分と重なる一面があり読み込んだ熱意の表出なのだが。
今回はこのへんで、ごきげんよう

*1:2次元と一緒にするな、私を否定しないでと言われたらぐうの音も出ません。すみません。

*2:ちなみにヴェールヌイが唯一無二の嫁だった。ハラショー。

*3:推しの笑顔だったり、推しの言葉を求めているがこれは関係性を変えるものではないから本人の中では問題にならない